トクヴィル 「アメリカのデモクラシー」 2 アメリカの出発点

アメリカは、社会の自然な成長をその始まりから直接に観察することのできた唯一の国である。それは、アメリカへと移住したヨーロッパ人達が様々な記録を残しているからである。トクヴィルは、アメリカ史を研究した上で、アメリカの法律、習慣などありとあらゆる物が国の出発点によって説明できないものはないと述べている。


トクヴィルの時代までに、アメリカでは南部と北部が別々に成長していた。イギリスの最初のアメリカ植民地が開かれたのは南部ヴァージニアであった。当時のヨーロッパ人は、黄金こそが国を富ませるという考えに染まっていたことも起因し、アメリカへ最初に送られた人々は黄金を探す人々であった。これらの人々は資金も規律も持たぬ人々で、こうした雰囲気がもたらした影響によってヴァージニアの成長は不確かなように見えた。その後に移ってきた人々はおとなしい製造業者や農耕民であったため、社会規律や高い理想によって国家建設が確立されることは無かった。しかもすぐに奴隷制が導入された。奴隷制こそが、南部の性格や法律やその将来全てに計り知れぬ影響を与えた決定的な要因であった。奴隷制は、労働の尊厳を汚し、社会に無為を侵入させ、無知と傲慢、貧困と奢侈をも導き入れる。


一方北部では正反対の性格を持つ社会が成長して行った。北部ニューイングランドの建設は、植民地建設という観点から見ると、全てが新しいことばかりで異例で独特なものであった。それまで開かれた植民地ではどこでも最初の住民は、貧困のため祖国で生きていけなくなった人々や、犯罪や素行の悪さから国を追われた人々で、財産も教育もないのが常であった。しかし、ニューイングランドに移住してきた人々は、祖国イギリスに於いて余裕のある中産階級に属していた。ニューイングランドに現れた社会には大領主も下層民もなく貧乏人も富豪もいなかった。この社会に属する人々はヨーロッパに於いて相当の教育を受けた人々で社会的規律も持っていた。彼らは貧困で国を出たわけではなく、イギリスでの社会的な地位や生活手段を捨てて、自らの理想を追及する場を求めて祖国イギリスを捨てたのである。彼ら(ピルグリムファーザーズ)は清教徒に属し、イギリス政府からの迫害を逃れるために、アメリカへと渡ったのである。

ニューイングランドへの最初の移民の後も、イギリスでの宗教的な圧迫はやまず、年毎に新たな移民者が続いた。イギリス政府はアメリカへの移民を黙認し促進さえしたこともあり、ニューイングランドの人口は急激に増加していった。イギリスは身分制社会であったが、ニューイングランドに現れたのは同質な人々からなる平等な社会であった。デモクラシーが萌芽しようとしていた。大きな内部自治と政治的な独立を持つようになり、この事実が繁栄の主要な原因となった。


ヨーロッパでは、政治の動きは社会の上層部で始まり、次第に社会の全体に、不徹底な仕方ではあるが、広がっていった。アメリカでは、逆に地方の自治体が組織され、その後、上位の郡や州や組織されたと、トクヴィルは述べている。


「アメリカのデモクラシー」 岩波文庫 トクヴィル著 松本礼二訳







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