トクヴィル 「アメリカのデモクラシー」 偉大なる平等の思想家


アレクシ・ド・トクヴィルは、1805年にフランス貴族の家系に生まれた政治家・政治思想家で、フランス革命やナポレオン帝政とその後に現れる王政復古など、フランス政治体制が激動に大きく波打った時代に生きた人である。貴族制から民主制へ進む時代の流れは変えられないと早い時期から認識し、民主制の時代に貴族の末裔としていかに生きるべきかを真剣に考えた人であった。

しかしながら、当時のフランスは革命によって民主政へ移行した経緯やその後の動乱の影響もあり、階層間の激しい憎しみ合いや政治的な混乱などがあって、フランス社会における民主制の先行きは不透明であった。

一方、まだ建国から数十年しか経たないアメリカは繁栄への道を着実に歩んでいた。トクヴィルは民主制の行く末はアメリカにこそ見出せると見抜き、友人ギュスターヴ・ド・ボモンとともに数ヶ月のアメリカ視察を行い、当時のアメリカ著名人のほとんどとも会談をして、まだ20代前半であったが、この名著を著した。(因みにボモンも名著を著している。)



第1巻では、アメリカの繁栄に対して、境遇の平等がいかに大きく影響しているのかをいくつもの例を挙げながら丁寧に説明している。トクヴィルは貴族制社会の中で貴族の血筋を受けた人であり、民主制を外から観察するように分析していく。

民主制がいかなるものかということを改めて認識し直したが、併せて、貴族制とはいかなるものかということも初めて分かったような気がした。 

第2巻は、平等が精神にいかなる影響を与えるかということが分析される。第1巻では、アメリカ視察から帰った後の興奮が間近に感じられる位に、アメリカのことが好意的に書かれていましたが、数年後に書かれた第2巻では、アメリカ・イギリス・フランスの冷静な比較分析が行われている。

例えば、貴族は生活の心配がないから名誉を獲得できる大志を望みそれを実現することに専心する。貴族は家系こそが偉大さの源泉であり、家系の名誉を守るためには生命をも犠牲にささげる。民主制の人民は、常に生活の心配をしているから大志を抱く余裕がなく、民主制の時代には偉大な人物は現れなくなる。自分の生命が大切で、他人のことは全く気に掛けなくなる。そういった比較分析がなされている。

第1巻は読んでいて楽しく大変面白いが、第2巻は地味ではあるが、深く考えさせられる内容に満ち溢れている。 



アメリカは、西部開拓という大きなフロンティアを持っていて、国内だけでも成長していけた時代があった。その期間は特に高度成長を遂げていて、活気に溢れていた。トクヴィルはそうした様子も伝えている。




民主主義は良い仕組みかもしれないが、ある社会にいきなり適用してうまく民主主義が回り出すとは思えない。それは、モラルの低い民衆からなる社会に民主主義を導入しても無政府状態に陥ることも大いにあるからである。

北アメリカの初期植民地でうまく民主主義が立ち上がったのは、ボストンなどのニューイングランド地方のようである。この地方にはピルグリムファーザーズと呼ばれる人々が殖民した。彼らはイギリス社会でそれなりの地位にあったが、宗教上の理由でアメリカへと移民した。彼らには社会的な地位があり、彼らには社会集団としての秩序やモラルが備わっていて、それに平等が結びついて民主主義が、挫折せずに、立ち上がったという。ヴァージニアなどは、一攫千金をもくろむ山師のような人々や、ヨーロッパでの貧困層や犯罪で国を負われた人々が入植した。ここでは、平等は無秩序へと向かった。上述したように、アメリカの初期の民主主義を揺籃したイギリス社会の慣習や秩序にトクヴィルは大いに関心を示したという。


トクヴィルはアメリカの平等社会を評価しているが、成功の裏に不平等が存在していることもかなりのページを割いて記述している。それは、先住民アメリカインディアンのことと、黒人のことである。

トクヴィルがアメリカ訪問したのはわずか数ヶ月間であったが、アメリカインディアン
の一部族が、居住していた地域を追われて西部へと半強制的に移住を迫られ、部族が大きな川を渡る際の悲劇を目撃している。


また、アメリカの黒人の不平等も大きく取り上げていて、もし、アメリカで革命が起きるとしたら、黒人問題が原因になるだろうと述べている。



ところで、貴族制であるが、存在の基礎は大土地所有にあるという。封建制とともに存在しうるものである。金銭や財宝などの動産ではなく、大土地という不動産を子孫に相続していくこと、これこそが貴族制の根幹である。大土地所有によって、農業による自足ができ、多くの家臣やその陪臣を養え、独立した勢力圏を維持でき、もしも自分に不利益な王権があったとしても、対抗ができる力を持てることになる。中世の社会はこういう姿をしていた。貴族では、長子が全てを相続し、他の者は長子に養われる形になる。親の持っていた土地を全て長子が受け継ぐ。土地はそのままの形で少しも損なわれること無く、代々相続され、貴族の権力基盤もそのまま維持され、貴族は代々存続していくのである。

貴族制を壊すには、相続法を制定して、相続の際に土地分割が生じざるを得ないような仕組みにすることになる。例えば、相続の際に土地を子供全てが平等に分割して相続するように法を変えることによる。この平等な相続方法によって、大土地は数世代のうちに小さな土地に分割される。貴族が存立の基盤としていた土地はなくなり、貴族は存続できなくなるのだという。



トクヴィルは、当時の民主制の国や人民の話をしているのではなく、民主制の国ではこういうことが起きるであろうという分析をしている。であるから、どちらかというと、民主制の国について予言をしていることになる。そして、この予言が多くの点で当たっていることが多く、非常な驚きを禁じえなかった。

例えば民主制の国では、人民が政治に次第に無関心になり、僭主が現れて専制政治を行う危険性が高い(、貴族制では貴族が僭主に対して反抗するのでその危険性は小さい)、と述べている。後にヨーロッパや南米、アジアなど世界各地で起きる専制的な国家の危険性を早くも見抜いていたことになる。各国の僭主を非難することによって単純に片付けて思考停止するのは安易すぎて、もっと民主制に関して深い考察が必要なのではないかと改めて考えさせられた。



「アメリカのデモクラシー」 岩波文庫 トクヴィル著 松本礼二訳









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