R.Tignor, J.Adelman, et.al."Worlds Together, Worlds Apart" 14世紀:黒死病からの復興

世界史の中で各国の事件を伝えるというより、世界のいかなる国といえども如何に深く関連し合い干渉しあっているかを教えてくれる本である。

例えば、13世紀に興ったモンゴル帝国は、騎馬による強力な軍事力を擁して、ヨーロッパとアジアを結ぶ交易路を経由しユーラシア大陸おしえて各地に侵略して、東西の様々な国々がモンゴル帝国によって滅ぼされた。モンゴル帝国はユーラシア大陸の東西に渡る広大な領土を支配下に置いた。

14世紀になると、黒死病(the Black Death)がユーラシア大陸各地に広がった。初めに中国南西部で生じた疫病は、中国中央部へと広がり、東西を結ぶ交易路を通じて中央アジアから中東やヨーロッパへと広がっていった。黒死病は致死率が25%から50%にも達し、黒死病による人口減少の被害は、ユーラシア世界のどこでも例外無く甚大であった。例えば、中国では1億2千万人の人口が8千万人に減少したし、ヨーロッパの都市ではブレーメンのように人口が約3分の1にまで減少したような例も見られた。

黒死病は、東西交易路によって世界が結ばれていたがために生じたのだった。

モンゴル帝国侵略による政治秩序の崩壊や弱体化と黒死病による人口減少は、ユーラシア大陸各地の社会を同時期に崩壊させ混沌とした無秩序状態へと陥らせた。こうした無秩序状態から新しい政治秩序を構築するのは至難の業であった。各地で興った新しい支配層は、モンゴル帝国侵入以前の政治秩序を捨て新しいシステムを導入しようとした。支配者の下に強力な軍隊と中央集権化された官僚組織を確立して、支配者の権力を強大で絶対的なものにした。また、政権移譲の仕組みを制度化して政権移譲時に起こりがちな内部的な政変を防止しようとした。この政治的な仕組みはDynasty(王朝支配)といわれている。

中国では明王朝が興り、イスラム圏ではオスマン王朝、サファービー王朝、ムガール王朝が興り、ヨーロッパではスペイン、ポルトガルで王室の絶対的な力が確立し、フランスやイギリスがこれに続いた。

こうして見ると、同時期にユーラシア大陸の各地で王朝が興ったのは、世界が結ばれていたからであった。

各王朝は、無秩序の社会の中で興った新興勢力であったため、政治的な正当性を確立することが非常に重要であった。各王朝は宗教的な権威を利用して、自らの正当性を主張した。このため、宗教的な秩序は、社会的な混乱の中でも延命できたのである。

政治的秩序は変化したが、宗教的秩序は維持された。

世界史を考える時に各国の歴史を時間の流れに沿って見ていたが、世界各国を地球規模で同時代的に、しかも時間の流れを追いながら見るという視点が自分には欠けていたことを本書は教えてくれた。世界がこうして結ばれているという視点は、今のグローバル世界では特に重要であると思う。


"Worlds Together, World Apart", W W Norton & Co Inc (Np), Robert Tignor, Jeremy Adelman, Stephen Aron, Stephen Kotkin, Suzanne Marchand, Gyan Prakash, Michael Tsin




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