木田元 「ハイデガー『存在と時間』の構築」 時間性とは

哲学者木田元による、ハイデガーの著書存在と時間」の未完部分を再構築しようという試みである。「存在と時間」の意味や背景をわかりやすく解説しながら、未完の第二部以降が書かれたとしたらこういう主題であっただろうという議論を展開していく。その解説や背景の説明が面白いのである。プラトンやアリストテレス、カントやニーチェ、あるいは師であるフッサールなどの思想とハイデガーとの関係は、「存在と時間」を読むにあたって道標(みちしるべ)になるものである。


「存在と時間」は、「存在一般の意味」を解き明かすことに目的がある。「存在とは何か」を問うことは、プラトン・アリストテレス以降の西洋哲学の根本的なことである。

ここで、「存在とは何か」と問われたときに、どういう思考が頭に去来するであろうか。人によっては、存在と言われると、物理的に物が存在するというような意味のことを考えるかもしれない。あるいは、人間を生物学てきに捉えて、人間の生命の起源のような意味のことを考えるかもしれない。しかし、ここで問われているのは、こういう理性的な問いかけを自らに問いかけられる人間という驚くべき存在があるのはどういうことかという、全くに哲学的な意味である。

生物としてではなく、人間として存在するということに、人間が気付いたとき、そこには大きな驚きがあるであろう。人間は余りに普通に人間として存在するが故に、この事実に気付かないのである。

なぜならその<驚き>の感情こそが、本当に哲学者のパトスなのだから。つまり、哲学の初まりはこの感情より他にはないのである。(『テアイテトス』)


ハイデガーによると「存在とは何か」という問いと時間(正確には時間性)とは密接な関係がある。時間性とは、我々が通常認識している時間ではなく、人間が現在、過去、未来を認識できるようなそういうあり方のことを指すようである。著者はわかりやすくするために実験により確かめられたチンパンジーの空間認識能力を説明に使うのだが、動物には抽象的な構造化能力は無く、従って時間感覚も無いのだという。動物には過去も未来も無く、ただ現在があるだけなのである。

<おのれを時間化する>働きによって、現在・過去・未来という時間の次元が開かれ、<世界>というシンボル体系が構成される

しかし、人間は、自明の如くあるいは余りに普通であるが故に認識すらしないほどに、現在・過去・未来といった時間に対する認識を有している。動物のように現在しかない認識世界から立ち上り、過去と未来を認識し、過去と未来に大きな意味を与えて生きていくこと、このことを時間性と呼んでいるようである。この時間性こそが人間を存在者たらしめている根本なのだという。

人間を人間たらしめている根本は何であろうか、それは自己を顧みて、生に敏感な人であればいつかは問うことであろうと思う。その答えが時間性にあるとは。大きな驚きをもってこの哲学を噛みしめる。果たしてこれが真実であろうか、それは良く考えてみないとわからない。


「ハイデガー『存在と時間』の構築」 岩波現代文庫 木田元著 













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