小林秀雄 「考えるヒント2」 常識について

常識とは何か。

そう問われると、社会一般に共有されている知識のことだろうと考えていたのであるが、そうではなかった。

常識は、コンモン・センス(一般にはコモン・センスというかもしれない。著者がコンモン・センスと書いているので、ここではこれに従う。)のことである。トマス・ペインの「コンモン・センス(コモン・センス)」はアメリカ独立戦争に大きな影響を与えたことは良く知られている。ではコンモン・センスとは何か。著者は、コンモン・センスの源を辿っていくとデカルトに行き着くというのである。

デカルトは、常識(コンモン・センス)を次のように考えていたらしい。

常識というものほど、公平に、各人に分配されているものは世の中にないのであり、常識という精神の働き、「自然に備わった知恵」で、誰も充分だと思い、どんな欲張りも不足を言わないのが普通なのである。デカルトは、常識を持っている事は、心が健康状態にあるのと同じ事と考えていた。そして、健康な者は、健康について考えない、というやっかいな事情に、はっきり気がついていた。(p.191)

これから考えると、常識とは、決して、社会一般に共有されている知識ではなく、各人に共有されている理性の働きを指している。自分がいかに常識をいい加減に使っていたか、物を考えないでいたかが改めて感じられた、と同時に、非常な発見を目の当たりにして驚かされた。それは、デカルトが考えたように、常識は余りにも普通に備わった働きであるから誰の目にも見過ごされてしまう、そういう難しさもあるのだろう。

デカルトは、人が見過ごしていた常識の力に気づき、そして徹底的に追究した。常識を哲学の中心に導入し、故に学問は根底から見直され新しい形となって進み始める。

デカルトが常識についてやったことは何であったか。デカルトは、常識とは何かという定義を出したわけではないし、常識に関する学説を唱えたわけでもない。デカルトは、常識を如何に正しく働かせ得るかを追究した人であった。もう少し具体的に言うと、常識を生活のために正しく働かせるにはどうしたらいいかを考えつくした人であった。その態度は、デカルトの著作「方法序説」に現れている。

彼は当時の学問を疑い、到るところにその欠陥を見て迷ったのではない。根を失って悉く死んでいると判断できる自分の自由を信じたのである。(中略)
学者たちの狡知と虚栄心は限りなく、(中略)それが己を欺き、人を誤らせている。(中略)
「自分自身のうちに、でなければ、世間という大きな書物のうちに、見つかりそうな学問以外は、求めまいと決心した」。世間という大きな書物は、彼に語りかける、学問のある人の書斎の推論より、重大な事件に迫られ、一つ判断を誤れば処刑されるといった場合、学問もない人達が働かす分別の方が、真理を掴むであろうと、と。(p.195)

デカルトは、当時の中世の学問は自分自身で真に考えるという自由を失っていることを見抜き、自分には自身で考える自由があることを理解しそれを追究した。それはそういう出発点から発したものであり、学問のための学問であってはならなかった。実際的で役に立つものでなければならなかった。そうして、自分の方法を発見したのであった。
学問の方法上の開眼とは、原理的には、驚くほど単純なものであった。真理を得る為には、直感と演繹という精神の基本的な誤りようのない二つの能力を使用すれば足りる(p.196)

常識。生活の中で真に自由に考え判断すること。

「考えるヒント2」 文春文庫 小林秀雄著


コメント

このブログの人気の投稿

フレイザー 「金枝篇」 ネミの祭司と神殺し

ヴォルテール 「カンディード」 自分の庭を耕すこと

安部公房 「デンドロカカリヤ」 意味の喪失