チェーホフ 「桜の園」 わたしの命、わたしの青春、わたしの幸せ

「チェーホフ最後の、そして最も愛されてきた劇曲」。郷愁を帯びた感傷的なテーマを持ち、そのテーマを明るく描く喜劇的な会話、劇中には知性的な雰囲気が醸し出され、味わい深い戯曲になっていると思う。大切な様々なものが詰まっていて、少しずつ色々な気持ちを味あわせてくれる、何回でも読み直してみたい作品。

主人公のラネーフスカヤ夫人はロシア貴族の出自であったが、平民の弁護士と結婚し、夫に死に別れると愛人とパリへ出奔してしまっていた。手元に最後に残った財産、「桜の園」、を処分するために故郷へと戻ってきたのだった。そこには、兄ガーエフ、娘アーニャ、養女ワーリャ、老従僕フィールス等が待っていた。

時は、ロシアで農奴解放令が発布され、時代が大きくうねり社会が激しく変貌している頃である。農奴からの年貢で生計をなしていたロシア貴族たちは、それまで拠り所としてきた基盤を失いあえいでいる。大土地を所有しているとはいえ、土地を経営する才覚無くしては土地の所有も意味が無く、次第に土地を切り売りして生活費を工面し、土地は人手へと移っていくばかりであった。ラネーフスカヤ夫人も兄のガーエフにも経営能力は無に等しく、彼らにあるのはただ血筋の良さ、人の良さだけであったから、最後に残った「桜の園」を保全することはできない。

劇中には、古き良き時代への郷愁と惜別の感情が漂う中で、新しい時代の足音が遠くの方から聞こえてくる。ラネーフスカヤ夫人の家に、代々農奴となってきたが、親の代に解放されて自由民となったロパーヒンは、学問は無いが実業家として財を成している。アーニャと恋仲にある大学生トロフィーモフの発言からは共産主義的なものが感じられ、新しい世の中を自ら作り出そうと考えているのがわかる。やがて来るロシア革命を彷彿とさせる。第二幕では、遠くの方から炭鉱の爆発音がかすかに聞こえてくる。ドンバス炭田であろうか、すでに近代重工業が始まっているのである。

「桜の園」と、それに隣接する幼年時代の子供部屋こそが、ラネーフスカヤ夫人と兄ガーエフにとって最も大切なものの象徴であり、しかも心の拠り所でもあった。第四幕で、故郷を離れるために旅立つラネーフスカヤと兄ガーエフは、最後に子供部屋に残り、抱き合いながら涙を流す。
ああ、わたしのいとしい、なつかしい、美しい桜の園!わたしの命、わたしの青春、わたしの幸せ---さようなら‥‥‥、永久にさようなら!(p130)

そして、二人が部屋を去った後、フィールスは子供部屋で息を引き取るのである。古き良き時代は、「桜の園」と子供部屋と共に失われ、その良き時代を象徴するフィールスも共に世を去る。切ない場面。

この戯曲の一番の魅力はその会話であろう。訳者が解説でも書いているように、「時にほろ苦く、時に軽く、時に深刻に、しかし一貫して滑稽味を失わない会話の味わい」こそが、この作品を忘れがたい名作にしているのではないかと思う。


「桜の園」 岩波文庫 チェーホフ著 小野理子訳



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