カフカ 「変身」

主人公のグレゴール・ザムザは、ある朝目覚めると自分の体が毒虫(多分芋虫のようなもの)のようになっているのに気がついた。その朝以来ずっとグレゴールは毒虫のまま自分の家から一歩も出ることなく生きていくことになる。

グレゴール自身、自分の変身にひどく驚いたし、家族もそれは同じであったが、驚きの後は疎遠で淡々とした暮らしに落ち着いていく。グレゴールは、変身した日から、社会や外界との交流は一切なくなり、孤独の中を生きていく。それは淡々とした起伏の無い無味乾燥な生である。

窓から外を眺めもしたが、それは昔そうやって暮らしていたという記憶を懐かしんでのことで、毒虫になったグレゴールの目は次第に視力を失い、窓から見えたのは曇った灰色の世界であった。

グレゴールは、いつも妹のことを気遣い、家族への思いやりも忘れない。良心だけが人間らしさを示していた。

グレゴールが変身した朝、彼はその日に予定していたセールスの出張に遅れることばかり気にしていた。その後も、所長が怒るだろうということや、食事のことなど、普段の生活の瑣末なことばかりを気にしていた。その姿には、何故自分は変身したのかという問いや、人間であるということは何なのかという問いなど、あってしかるべき根源的な問いや苦悩が少しも見当たらないのである。それは、彼の家族も同様で、毒虫になった息子を哀れむより、働き手を失って困窮する自分たちの生活を嘆くばかりである。人間が毒虫になったことよりも、彼らの中に根源的な問いかけが少しも無いことこそ、非常に驚かされるところである。真剣な問いかけも無く、淡々と生活が継続されるのは、表面的には穏やかでユーモラスでコミカルな世界であるが、実は不気味で恐ろしささえ感じる。

グレゴールは、父親に投げつけられた林檎が背中に食い込み、その傷のためかあるいは食べ物を体が受け付けなかったためか、体力が衰えて自室の中で死んでいく。彼の死後、家族は晴れ晴れとピクニックに出かけ、暖かな陽光の中で健やかに成長した妹の姿を見て、両親は幸せを感じるのである。目の前の物質的な幸福こそが彼らの人生の全てなのであった。

日々の生活に追われて生きて、目の前の瑣末で物質的な世界だけが人生の全てある現代社会の人間は、実はグレゴール・ザムザのように成り果ててはいないか、もうすでにそういう状態に陥っているのにそのことに気がつきもせずに生きているのではないか。社会や家族からも疎外され孤独に生きる荒廃の中に陥っているのではないか。これまで幾世紀にも渡って先人たちが積み上げてきた深遠な精神世界など無縁で、無価値の世界に生きているのではないか。カフカの思い問いかけが聞こえてくるようである。


「変身」 岩波文庫 カフカ著 山下肇訳



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