カフカ 「審判」

主人公Kが、ある朝下宿の部屋で目覚めると、男二人によって監視されていることに気がつく。下宿の女主人や隣の建物に暮らす住民もよそよそしくしながらKの様子を窺っている。自分でも知らないうちにK自身への訴訟が起こされていたのである。

全く身に覚えがないから、Kは何かの間違いであろうと考えるのだが、自分を監視する2人は公的権力から権限を正式に与えられているので、その権威にKは逆らうことができないのである。訴訟の理由や事情を聞いても、2人は何も知らない。ただ、Kを被告人として監視する任務を与えられて、それだけを忠実に果たしている。公的な指示を受けて動く下級公務員的な存在である。しかし、実際に公務員であるのかは明かされない。

次の日になれば、何事もなかったかのように事件は消えるのではないかとも考えたが、裁判への出頭を命ずる連絡が届き、本当に、公的に訴訟が起きているとKも覚悟する。

こうなると、身の潔白を照明するには、裁判に出て、証言するしかない。そう決心したKは指定された場所へ行くのだが、その住所は労働者が多く暮らす集合住宅であった。間違いかも知れないが、一応確認しようと集合住宅の階段を上る。住宅には表示が記されてないから、目的の住所にたどり着くのに1時間もかかった。

そこは普通の集合住宅の一住戸であった。戸を開けて出てきた女は、そこに暮らす主婦のようであった。Kが怪訝な気持ちで尋ねると、女はここが審理の開催される場所だといってKを中へ通す。

審理の場所は、果たして普通の住民の部屋であった。審理が行われる間だけ裁判所となり、それ以外の時間は女の住戸として使われているのだった。

会場は労働者階級と思われる人々で一杯に溢れかえっていた。彼らは裁判の陪審員のようであった。裁判長は、Kの遅刻に不平を言うとともに、この遅刻が裁判に不利に働くだろうことを告げる。

Kが訴訟を受けた理由は知らされないまま、初回の審理は終わり、継続して審理が行われることになる。そもそも、その場に臨席していた者は誰も訴訟の詳しい内容を知ってはおらず、ただ被告を迎えて審理を行うだけの役割しか担っていないようである。Kから見ると、理不尽にも、無能な者たちが自分を裁いているように見えるのである。

銀行の支店でそれなりの地位にあるKであったが、銀行での業務に集中できなくなる。銀行にも監視の男が現れるし、裁判の審理は要領を得ない。

もっとも困ると思われるのは、誰も断片的なことしか知らされていないから全体像がわからず、訴訟の理由さえもわからないのである。

こうして、延々と裁判の審理は続けられていく。Kのおじが現れ、裁判のための弁護人を雇うように忠告し、おじの知人を紹介する。弁護人はKから見るとやはり無能な男に見えるのだが、誰もがその有能さや実績を誉めるのである。

弁護人の事務所や、役所で会う人々を見ると、多くの者がKと同じように理由もわからず訴追されて延々と裁判を続けていることがわかる。彼らは長年に渡る裁判の経済的、心理的負担から疲弊しており、歪んだ性格を示す。裁判を好転させるどころか審理結果がでないように現状維持するだけであっても、自分に有利とみれば労力を惜しまないし、迷信にすがり、権力や実利を与える者に媚びへつらうことも平気でやってのける。

社会全体が、裁判を行うための組織に取り込まれている。多くの者が裁判を行う仕組みの一部になっているのがわかる。訴追された者を監視する者、裁判法廷を管理しながらそこを住居とする者、裁判長、裁判の審理に出席する者、弁護人。小さな権力を持つ者と縁故を有するということで影響力を持つ画家まで出てくる。

裁く側にいるからといっても地位は磐石ではない。Kの監視人は、規則を破って不正を働いたという理由で裁判も無しに笞刑を受ける。裁く側は、暴力によって規律が統制されているのである。

裁く側に所属しない者は、裁かれる側にいることになる。理由もなく延々と続く理不尽な裁判は、社会を疲弊させ破壊し、民衆を裁判国家に直接隷属させる。例えば、裁判法廷を管理しながらそこに暮らす者は、裁判国家がないと生存すらできなくなっている。

描かれる社会は、下層の一般民衆で溢れかえっている。裁判国家は一部のエリートが支配していると思われるが、物語には登場しない。K自身も銀行の上部にいるエリートの一員である。しかし、エリートと言えども、訴追を受けるのである。自分の運命は自分で決められない。何か偶然性や他者の恣意性に左右されてしまうのである。

もしかすると、社会を動かすエリートのかも知れないとさえ思えてくる。組織の上位にいる者も活力を失って組織の歯車と化している可能性すら感じる。誰にも組織の全体像がわからない、組織がひとりでに動くのである。官僚制の本質を描いているように思える。

登場する人物の中には男女関係にだらしない者が多い。これは社会全体が男女関係にだらしない状態に陥っていることを示唆している。

最後に、刑吏によらない一般市民による処刑執行が行われる。
衝撃的な結末である。

裁判制度と言う社会の根幹における、役人の恣意性による制度腐敗は、社会全体を不安定にし、倒壊させている。社会は裁判国家に取り込まれ、民衆は国家に依存して生き、活力を失った社会は衰退していく。

カフカがこの作品を著したのは、ナチスドイツが政権を窺っている時代のオーストリア国家のプラハである。感受性と洞察力に優れた作家は、全体主義国家の到来に気付いていたのである。

描かれる国家は、正義を求めていないし、社会の安定や発展も求めていない。国家の永続を求めているだけのように映る。それさえもぼんやりとして誰にも明白にはわからない。

社会が裁判という官僚組織に乗っ取られている。生気を吸収され、自発性、活性が失われ、内部崩壊している姿がそこにはある。

カフカがこの作品を著したのは、ナチスドイツ政権が来たらんとしている時代である。カフカは裁判国家を描いているが、現実に直ぐ後に来たのは、権力と暴力が組合せになった警察国家であった。感受性と洞察力に優れた作家は、全体主義国家の到来を感じていたのである。

「審判」 岩波書店 カフカ著 池内紀訳

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