ガルシア・マルケス 「予告された殺人の記録」

三十年前に田舎町で起きた殺人事件の記憶を「私」は辿っていく。

当時青年であった「私」はその町に住んでおり、犯人とは親戚、被害者とは学校の友人という関係にあった。年月が経ち人々の記憶がかすんでいくが、その一方で、事件に嫌悪する感情も薄れ、人々から改めて話を聞くことができた。犯人や被害者の親戚や近しい人々、当日犯人や被害者と接した人々、町に住む住民、様々な人から直接話を聞く。事件に関りのあった人々の言葉を拾って歩くうちに、事件の断片をモザイク画の画素のようにつなぎ合わせていくことで、事件が起きた時には良く見えなかった全体像が浮かび上がっていく。

殺人事件を扱っているが、推理小説のような謎解きではなく、また、犯人の心の内を描く心理小説でもない。人々の証言を断片的につなげながら、殺人事件を通して、事件が起きた背景にある複雑な社会状況を描いている。

被害者サンチアゴ・ナサールは、アラブ系コロンビア人で富裕層に属していた。若くして父親を亡くした彼は、既に家長であり、殺された当日も町の有力者として司教を迎える立場にいた。彼の立場や分別をもってすれば、事件を未然に防ぐこともできたはずであるが、そうはならなかった。

町へふらりとやってきたバヤルド・サン・ロマンは、最初は身分の知れない山師のような扱いを受けたが、前世紀にあげた軍功で国民的な英雄であるペトロニオ・サン・ロマン将軍の子息であると知れると、バヤルドは町の有力者としての待遇を受けるようになった。しかし、彼の母親はカリブ海出身の黒人の血を引く混血女であり、国の英雄とはいえ、複雑な家庭状況が窺える。

バヤルドは、結婚相手を探していたが、アンヘラ・ビカリオを見初めたのであった。彼自身も相当な富豪であり、金に糸目を付けぬ振る舞いが目立つ男であった。婚約が決まり新居を探す段になった時に、町で一番の邸宅と言われていたその持ち主に、大金を積み上げて、奪うように買い求めてしまった。

ビカリオ家は、貧しい過程であった。アンヘラの兄二人は、豚の屠殺を商売にしていた。それは、普通、社会では忌み嫌われる商売であり、彼らの貧しさや社会的な地位の低さが窺える。そうであったから、身分を超えた結婚に誇りを感じるとともに、不相応な関係に不安も隠し持っていたのであろう。

ところが、アンヘラ・ビカリオは、バヤルド・サン・ロマンという富豪との結婚に際し、処女ではなかったということで結婚式の当日に離縁されてしまう。アンヘラ・ビカリオは、自分の相手は、サンチアゴ・ナサールだと口にした。

アンヘラが家に戻された直後から、ビカリオ兄弟は、自分たちの家族が社会的な不名誉を被ったとして、その復讐のために殺人を決意したと公言し始める。町で会う人会う人に復讐のために殺人を行うことを公言するのである。その言葉を聞いた町の人の反応は、人それぞれであるが、町でそのことを知らない人はほとんどいなかったのである。サンチアゴ・ナサールに忠告する人はいなかった。だから、サンチアゴ・ナサールは、死ぬ直前まで自分が殺される予定になっていることを全く知らなかったのである。

犯人のビカリオ兄弟は、不思議なほどに公言を繰り返した。それは自分たちの犯行を予告するから、誰かに引き留めてもらいたい、そういう気持ちが見えるようである。誇りの問題だから自分たちは復讐をするしかないが、誰かが邪魔してくれれば、やめられるのに、そういう気持ちである。しかし、止める者はいなかった。ビカリオ兄弟の言葉を本当だとは信じなかったと、皆は口々に答えた。

町中の人々が知っていたのに、サンチアゴ・ナサール本人にも近親者や親しい友人たちの耳にも、ビカリオ兄弟の発言は伝わらなかった。親しい者の誰かに伝わっていれば、彼らは町の有力者であり、殺人は避けられたはずであった。

コロンビア、あるいは中南米は複雑な歴史から成り立っている。もともと大陸に住んでいた原住民系、ヨーロッパ特にスペインから来た人々の末裔、植民地経営の労働力として奴隷として連れてこられたアフリカ系の人々、さらにはそれらの複雑な混血の人々。ナサール家のようにアラブから中南米へ移民として来た人々は本当に最後の集団であろう。社会は人種だけでもまだら模様のように複雑に入り組んでいる。自分の出自やアイデンティティを確信するのは非常に困難なことであろう。さらにそこに社会的な身分や貧富が絡んでくる。大多数の貧しい者と、少数の富裕層。社会がばらばらに分断されていても不思議ではない。

殺人予告を聞き知った町の大多数の者たちと、予告を知らなかったナサールに近かい人々。殺人予告が嘘であったとしても、もしかして殺されたとすれば、自分は手を汚さないのであるから、日頃の鬱憤を晴らす良い機会であると考える人がいても不思議ではない。しかし、ほとんど誰も忠告をしなかったというと事態は深刻であり、正義、勇気、公正さ、隣人への同情など、社会を成り立たせている基本的なものが失われていて、それは社会の崩壊と言ってもよいのかもしれない。

そもそも、そういう複雑な背景を持つ国においては、建国当初からそういう不安定な状態が続いていて、社会的な基盤は一度も確立していなかったのではないかと疑いたくなる。それは、わからないことである。


「予告された殺人の記録」 新潮文庫 ガルシア・マルケス著 野谷文昭訳

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