グレアム・グリーン 「ブライトン・ロック」 善と悪と永遠と

ロンドンの南方で、ドーバー海峡に位置する歓楽地ブライトンには、主人公でピンキーと呼ばれている「少年」をリーダーとするやくざな集団が根を張っていた。彼らといざこざを起こしてしまって、ブライトンに足を踏み入れるのは命を危険にすることだと知っていたにもかかわらず、新聞記者フレッドは職を失いたくない一心で、ブライトンを訪れていた。

フレッドは、ブライトンに到着してからというもの、ずっと「少年」たちのグループに付け狙われ、生命の危険に怯えながら、他人の目を傘にして生き永らえようと人混みを探して歩き続けた。一人きりになれば襲われる。誰でもいいから他人と一緒にいさえすれば、彼らには手出しが出来なかった。だから、アイーダと酒場で飲み、一緒に街を歩くことが出来そうだった時に、何とかなりそうだと考えた。

しかし、アイーダがトイレに行って身だしなみを整えている最中にフレッドはいなくなり、アイーダは後日フレッドが病死したことを新聞で知るのである。 「少年」達の犯行グループは、完全犯罪を狙ってアリバイを偽装するのだが、そのアリバイ工作の一部をウエイトレスのローズに見られていた。

「少年」は、犯罪を隠すためにローズに近づき、硫酸で脅しながら口封じを試みるのである。アイーダは、フレッドの死を怪しみ、事件の真相を知ろうとする。彼ら3人を中心にしながら物語は展開していく。

彼女は生命を大真面目に考えていた。彼女は、じぶんの信じている唯一のものを守るためだったら、だれにどんな不幸を及ぼそうと構わなかった。「恋の痛手も、きっといつかわ忘れるものよ」と彼女はよく言うのだったが、彼女の考えによると、恋人を失おうと不具になろうと盲になろうと、「とにかく、生きてるってのは幸せ」であった。ただしそのオプティミズムのなかには何か危険で無表情なものがあった。 

アイーダは、神を信じていない。だから彼女にとって、世界は命だけが真実のもので、それ以外に永遠の価値は存在しないのである。それは、現代社会に生活する我々と同じように、人間社会を中心とした正と不正という価値観であって、神の赦しとか慈悲とかとは無関係な世界である。アイーダには、社会的な不正は目に映るが、神の前の罪や罪悪は見えないのである。性についても必要な時だけ欲しがり、目を背けている。それだから、アイーダは、(そして我々も、)自分でも気づかずに、危険で無表情なものを持っているのである。

ローズは、「少年」に脅されて協力するのだが、「少年」とローズは同じ極貧の町の生まれで、同じ世界観を共有していたから、ローズは「少年」と行動を共にするのである。彼らはカトリックであった。「きみ、カトリックなのかい?」「ええ」とローズはうなずいた。「おれもそうなんだ」と〈少年〉は言った。

二人は、自分たちが神の前で罪悪を犯していることを知っていたし、だから地獄に堕ちることを怖れていた。「少年」が敵対する集団に狙われ命の危険を感じながら暗闇の道を逃げ続けたとき、彼は泣きながら今死んだら告解が出来ずに神の赦しを得られないことを怖れるのである。

逆説的な話であるが、罪を犯した者だけが神を怖れ、人間社会の真ん中で生きる者は神を知らないのである。「少年」達の神の前の善と悪、アイーダの人間社会の正と不正が交差し、ずっと交わらないままに物語は進んでいく。(もしかすると、読者とも交差しないままかもしれない。)「少年」達にとって、人間社会の正と不正という言葉は何も意味しなかった。


「少年」は自分の行いが悪であることを知っているが、悪を為すのを止められないのである。自分を慕ってくれるローズに対しても、ずっと悪を為し続ける。彼は彼女がじぶんの生活に、部屋や椅子と同じように属していることを意識していた。彼女は彼を補完する何かであった。彼のなかの最も邪悪なものが彼女を必要としていた。そのものは善なしにしのいで行くことができないのだ。


「少年」には自分が悪を為すのを止めることは出来ず、自分の生を生きるしかなかった。じぶんの恐怖がどんなに大きいか ー あるいはどんな性質のものか、それをだれかに言うことは彼にできなかった。 ー それは一つの醜い秘密のようなものだった。彼は、怖れながらも生きるしかなかったのである。


しかし、ローズは、「少年」を救う道を探すのである。それは、この世では達成できないのかもしれないが、永遠という価値の中で自分たちが生き続けられるのではないかと気づくのである。

それは今まで一度も考えてなかったことなのだ。じぶんが罪を免れられぬ羽目になっているという考えは、一つの栄光のように訪れて来た。子供…そしてその子がまた子供を生む…それはピンキーのために一群の仲間が出現するようであった。人々がピンキーとあたしを呪うならば、彼らはまた子供たちをも呪わねばならぬわけだ。あたしにはそれがわかる。だが、あたしたち二人がゆうべベッドの上でおこなったことには終わりがない。それは一つの永遠なる行為なのだ。


「少年」は、ローズを犠牲にして生き延びようとしたが、結局、自分の生命を滅ぼしてしまった。後に残ったローズは、生きる意味を見つけなければならなかった。カトリックの神父に告解して、何か得られるものがあった。「もし彼があなたを愛していたなら、きっと」と老人は言った、「そのことが ー 何か善なるものがあった証しになろう……」「あのような愛でも、でしょうか?」「そうです」



あたしが考えていた最悪の恐れは終わった。家へ帰ることになり、レストラン・スノーへ戻ることになり、彼らはあたしを受け入れ、そして〈少年〉はぜんぜん存在しなかったことになる ー という完全な円環を形づくる恐れは終わった。彼は存在していたし、また永遠に存在するだろう。彼女はとつぜん、じぶんが一つの生命をかかえていることを確信した。

ローズは、無限に時間がとめどなく続く中にではなく、永遠という価値の中で、人の命が生き続けられることに気づくのである。


 「ブライトン・ロック」 グレアム・グリーン全集 早川書房 グレアム・グリーン著 丸谷才一訳


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