コンラッド 「闇の奥」 心の闇

ロンドンのテームズ川で、船上で暇つぶしをする男たちに、船乗りマーロウは自身が過去に行ったアフリカ奥地の話を始める。著者コンラッドの分身とも言える主人公マーロウは、帝国主義時代のベルギーが支配するアフリカ奥地コンゴを訪れたのだった。

マーロウが雇われた会社は、象牙をアフリカの奥地から集めて売りさばいていた。マーロウが最初に着いた中央出張所では、原住民の黒人たちが会社の労働力として使われ、搾取されていた。黒人たちは周辺の村から徴集されて、容赦なく酷使され、体が弱るとそのまま道ばたに放っておかれた。彼らは、ヨーロッパ人に酷使され疲弊した体を藪の中に横たえ死を待っていた。


さらに奥地へと出発するまでの中央出張所で過ごす日々。 「アフリカ奥地の静寂は、穏和で平和なものではなく、神秘的で測り難い奥深さがあり、その静寂は、マーロウに自分自身への内面へと思いを向かわせる力を持っていた。「闇の奥」という題名がアフリカの奥地を示していると同時に、心の奥をも暗示していることがわかる。アフリカの過酷な自然の中では原住民でさえ健康な状態でいられないし、ましてやヨーロッパから来たような男たちは1、2年で病に倒れてしまう。過酷な環境に体が順応できる男でさえ、文明的なものの一片もない人の姿も見えない完全な静寂の中では正気を失ってしまいがちである。


出張所の支配人は、クルツという男のことをしばしば口にした。中央出張所から「さらに奥地へと行ったところにある出張所の責任者で、会社の上層部が一目をおく有能な人物であった。そのクルツのことを心配しているのである。


マーロウは、自身の内面を見つめると同時に、クルツという男への関心も高まっていった。アフリカにまで流れてくる金目当ての男たちとは違い、クルツが有能であるばかりか志さえも優れた人間であったからである。


マーロウや中央出張所支配人たちは、船で河を遡り、クルツが支配する奥地出張所へとたどり着いた。途中、船は河岸の叢林から矢で攻撃してくる原住民たちに襲われ死者まで出す犠牲を出しての到達であった。

奥地出張所では、クルツに心酔するロシア人青年が待ち構えていて、マーロウたちを出迎えてくれた。ロシアの青年は、病で小屋に伏せているクルツについて語り出す。彼の語るクルツ像は、恋愛や思想を語る高邁な姿から、人間性が荒廃して自らの欲望によって行動する姿にまで及ぶ。クルツが精神の荒廃へと至った過程は具体的には書かれていないのだが、クルツに関する断片的な描写を通して、彼の精神の足跡が知れるのである。

ロシア人青年がクルツと出会った頃、恋愛、正義、善行、様々な問題について二人は夜を徹して語り合ったこともあり、その素晴らしい思想や正義感によってロシア人青年はクルツの礼賛者となった。その声の響きはクルツの特徴であり、非常に大きく印象的で、聞く人を圧倒し、彼の持つ精神力の大きさを反映している。その声で、クルツは自作の詩さえもロシア人青年に朗読して聞かしてくれた。


クルツとの対面。原住民たちに担架で担がれたまま、やせ衰えた姿を見せた。背丈は7フィート、鳥籠のような肋骨が浮き出している。病によってやつれ、自分ではもう歩けない状態になりながらも、彼の精神は未だに恐ろしいほどに力強くその体の中に居座っていた。彼の精神は、目の輝きと、驚くほどの響きをもった声の中に現れていた。

クルツは、その強靭な声や偉大な精神によって近くの集落の原住民たちの心を完全に掴まえていた。原住民たちにとってクルツは神のような存在になり、反抗することはできなかった。クルツは原住民たちを自分自身の欲望の手段とし、彼等を従えて近隣の集落を襲い象牙を略奪した。クルツは、自分自身の欲望を満たすことしか考えられなくなっていたのである。権力、性、暴力、富、あらゆる欲望を追求したことがわかる。そして、自らの王国を築こうとした。


クルツを看護するために、そしてヨーロッパへと連れ帰るために、彼を小さな船室へと担ぎ込み、クルツの命令にだけ従順な原住民たちは恭順さから森へと帰っていった。

しかし、クルツはヨーロッパへ帰るつもりはなかった。皆が寝静まると彼は船室から抜け出し、衰弱しきって歩けないため、這い蹲りながら森へと戻っていった。それは、彷徨(さまよ)う亡霊の姿であった。そうまでしても、彼には自己の欲望を満たしたいという衝動があった。マーロウはその人間の心の奥に潜む自我の凄まじさに恐れ戦(おのの)いた。

いったいクルツの身に何が起きたのか。アフリカの奥地、完全な静寂の中で一人自己と向き合しかなくなったとき、心の奥に潜む自己の欲望に気づき、それに身を任せてしまったのだ。制するもののない地では、彼の常軌を逸した行動は増幅されていった。自分自身の欲望を解放させた結果であった。名声、栄誉、成功、権力。一切の関心が恐ろしいほどの強烈さで、自我の上だけに集中されていた。有能で偉大な人物であったが故に、その荒廃ぶりも凄まじかった。道徳や誠実さといった人間的なものは失われ、ひたすら自我を満足させることだけに集中される生。それはもう人間とは言えないのではないか。アフリカ奥地の原始的な環境("Heart of Darkness":原題)の中で心の中の原始的な感情("Heart of Darkness")に身を委ねてしまい、身を滅ぼしてしまったのだ。

最後の瞬間も壮絶だった。

クルツの悲惨さは、クルツだけの特別な問題ではないと思う。クルツの悲惨さが示しているのは、人間が誰でも心の奥底に共通に持っている闇である。そうであるから、クルツの荒廃を眼のあたりにし、マーロウ自身も(そして読者も)、自己の心に横たわる闇の存在に気づき闇と向き合って生きる責め苦を担うことになる。


「闇の奥」 光文社古典新訳文庫 ジョセフ・コンラッド著 黒原敏行訳

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