岡倉覚三 「茶の本」 不完全なものを崇拝すること

岡倉覚三(岡倉天心)は、東京美術学校の設立に深く関わり、また、日本美術院を創設した、明治期日本における美術の開拓者である。岡倉天心は、英文によって美術評論を発表している。本書は、岡倉天心が英語で書いた"The book of tea"を村岡博が訳したものであり、茶会のことに触れながら人道を語り、老荘思想を説き、その筆は芸術鑑賞にまで広く及ぶのである。

茶には不思議な魅力があって、人はこの味を愛さずにはいられない。しかし、真に茶を愛でるには、深い精神性が必要なのである。古代中国において茶は薬用飲料として知られていたが、茶が粗野な状態から洗練された域へと達するには、唐の時代精神を必要とした。8世紀に出た陸羽という人が茶道を開いたという。この当時の唐朝では、仏教、道教、儒教の考えが社会に溢れていて、汎神論的な物の見方が支配的であった。「詩人陸羽は、茶の湯に万有を支配していると同一の調和と秩序を認めた。」このようにして、陸羽は著書「茶経」に於いて茶道を体系立てたのである。

宋代には抹茶が流行し、新しい茶の流派が生まれたが、茶道として確立するには、道教や禅宗の教えを必要とした。その思想の真に肝要なる事は、完成することであって、完成したものではないという思想である。宋代の流派は、モンゴル帝国による侵略で中国では失われてしまったが、日本に受け継がれていく。

茶は、南宋へ禅を学びに行った栄西禅師によって1191年日本へと伝えられた。禅とともに茶の儀式も日本中へと広がっていく。中国ではモンゴル襲来で、茶道を追究する文化運動は中断していたが、日本において継続発展された。茶は単なる飲む形式の理想化という枠を超え、生きる術に関する精神性を追究する道となった。


岡倉は茶道の奥義を「不完全なもの」を崇拝することだと言い切っている。

茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。

「不完全なもの」とは何であろうか。茶会に於いて、参加者たちによって何か完全に近いものを成就しようと試みられることのようである。道教に於いては、「完全そのもの」ではなく、完全を求める過程に重きをおいている。例えば次のようなことを考えてみる。茶道に於いて「完全そのもの」を目指し、「完全なもの」を形式化したとして、そもそも「完全なものは」この世で実現できるようなものであろうか。それは、「不完全なもの」でしかないのではないか。しかも、形式化してしまうと、不完全なものが固定化されてしまう。であるから、「不完全なもの」を心の中で成就しようと試みるのかもしれない。

ここで「不完全なもの」という時には、完全を目指していることが暗に含まれている。もし、「完全そのもの」を目指していなければ、それはただの混沌である。岡倉は「不完全」について次のようにも言っている。

真の美はただ、「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見出される。

茶室に入った人は、その精神世界において、茶室の造り、掛け軸、花などと一体となり理想世界を瞑想する。「不完全」を成就するために日本人によって追及された精神性の現れである。完全を追い求めて、「不完全なもの」を一期一会に成就すること、そういうことを語っているように聞こえてくる。


「茶の本」 岩波文庫 岡倉覚三著 村岡博訳





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