大野晋 「日本語練習帳」

日本語をもっと深く理解し自由に使いこなしたい、そう考える人たちの為に書かれた日本語を改めて勉強するための本。理論を説明するのではなく、練習問題を解く形式になっている。実際に問題を考え、答えを書いて、答合わせを繰り返していくうちに、読み書きする上での基本的な考え方が身についてくる。難しい言葉や漢字が出題されるわけではなく、日頃使っている言葉や文章が出題される。簡単なようで、よく考えると答えられない問いが並んでいる。自分の理解が曖昧なままであったことに気付かされる。基本的な単語、意味が似ているもの同士を比較してみると、それぞれの単語が根幹に持っている意味を理解することが、単語の意味を掴むのに重要なことに改めて教えられる。

言葉に敏感になることが勧められている。

言葉づかいが適切かどうかの判断は、結局それまでに出あった文例の記憶によるのです。人間は人の文章を読んで、文脈ごと言葉を覚えます。だから多くの文例の記憶のある人は、「こんな言い方はしない」という判断が出来ます。

多くの言葉や文例を知っている人は、文章の良し悪しを的確に判断することが出来る。それは骨董品の目利きにも似ている。自分で良いと感じる文章があれば、その文章を熟読して、さらに深く鋭く受け取るようにすること。それから、良い文章と言われるものを数多く読んでいくこと。言葉に対してセンスが鋭い人々、例えば小説家、劇作家、詩人、歌人など、そういう人々の作品や文章を読んで文脈ごと覚えるのがいい。


日本語のセンテンスの構造を理解するには、「は」や「が」という助詞がどういう働きをしているかに注目する必要がある。例えば、「は」には、「問題を設定する」、「対比」、「限度」、「再問題化」という役割がある。日本人であれば、文章の中で「は」と「が」を間違って使う人はまずいない。しかし、「は」と「が」の意味の違いを問われると、上手く答えられないのである。ある文脈の中で、自分の記憶している文例に従って判断をしているのだが、その背景にある意味となると、気付かずにそのままにしてあることが多い。著者は、「は」と「が」の違いを以下のように説明する。

ハはそこでいったん切って、「は」の上を孤立させ、下に別の要素を抱え込むが、それを隔てて文末と結びます。ところが、ガは直上の名詞と下にくる名詞とをくっつけて、ひとかたまりの観念にします。

「は」と「が」の用例として以下の文章が並べられる。

こんな貧弱なものしか食べさせられていなかったことを書いていない。
こんな貧弱なものしか食べさせられていなかったことは書いていない。

一つ目の文では、「は」の後ろの部分が挿入されており、これを取り除くと、「彼は‥‥書いていない。」という文になる。二つ目の文では、「が」はひとかたまりの観念を作る。それは、「彼がこんな貧弱なものしかたべさせられていなかったこと」という観念である。「は」と「が」は、日本語のセンテンスの根幹を支えており、その働きの違いをしっかり理解することは、センテンスの意味を把握するのに重要なことだと思う。



「日本語練習帳」 岩波新書 大野晋著


コメント

このブログの人気の投稿

フレイザー 「金枝篇」 ネミの祭司と神殺し

ヴォルテール 「カンディード」 自分の庭を耕すこと

安部公房 「デンドロカカリヤ」 意味の喪失