大野晋 「日本語練習帳」 一生に一度の為に

日本語約3000語の語彙があれば、生活していく上ではことが足りるのだという。では、3000語の語彙の生活でいいのであろうか、そうではないと著者は断言する。

言語生活という言い方をしているが、文章の調子、文体のかすかな違いを感じられる、そういう深く豊かな原語経験を体験するためには、3000語程度の語彙では不可能であり、少なくとも3万~5万の語彙が必要なようである。しかし、3万~5万という語彙を持っていたとしても、そのうちの半分は1年間に1度しか目にしないものばかりである。

一生に一度しかお目にかからないかもしれない。しかし、その一年に一度、一生に一度しか出あわないような単語が、ここというときに適切に使えるかどうか。使えて初めて、初めてよい言語生活が営めるのです。そこが大事です。語彙を七万も十万ももっていたって使用度数1、あるいは一生で一度も使わないかもしれない。だからいらないのではなくて、その一回のための単語を蓄えておくこと。

著者の日本語に対する美意識が明確に現された文章だと思うし、強く心を動かされる言葉だと思う。言葉を多く知っていて何の役に立つのか。それは、一生に一度の舞台に適切で見事な表現をしたり、そのことを感じたりできるかどうか、更にはそのことに価値を感じられるかどうか、それにかかっていると思う。

一期一会。一生に一度お目にかかれるかどうかわからない、そういう緊張感の漲る瞬間を待ちながら、そういう言語経験を出来るだけの能力を蓄えるために言葉の力を磨くことを改めて考えさせられた。


「日本語練習帳」 岩波新書 大野晋著



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