Steinbeck, "East of Eden" (エデンの東) 8 アダム

アダムは、温厚で善良な人であった。

生まれてすぐに母と死別して、継母となったアリスに育てられた。アリスに生まれた弟のチャールズとは、父親は同じであったが、性格も体力も違っていた。

父サイラスは、二人の息子に小さい頃から行進や木材運びなど訓練のようなことをやらせたが、チャールズは全てのことをうまくこなしたが、アダムは全てうまくやれなかった。訓練は、兄弟達にとって一種の競争であり、チャールズはいつもそれに勝った。アダムにとってそのような訓練も競争も無意味であった。やる意義を見いだせなかったアダムは、次第に自分の内側に閉じこもり、無気力な少年と周囲には映った。

しかし、アダムの父サイラスは、アダムの内側に隠された姿を知っていた。アダムを真の人間と認めた。そしてそう認識したからこそ、アダムを軍隊へと送った。逆に、父サイラスは、訓練を全てうまくこなしていたチャールズには真の人間性を見いだせなかった。チャールズは、そういう深い意味を理解しなかっただろうが、父親の態度に対して嫉妬を感じたのだろう。アダムとチャールズの関係は、カインとアベルの関係に等しくなった。

アダムは、父親の訓練についていけなかったように、軍隊にも合わなかった。人を殺さなければならないことを彼の心が受け入れられなかった。最後には軍隊を抜けだし放浪した。チャールズのことを思い、家に帰るのを躊躇したのだった。結局自分の家であるコネチカットの農場に戻ったが、父サイラスは莫大な財産を残して死んでいた。

アダムとチャールズは以前よりは仲が良くなった。アダムの軍隊での話を聞いて、チャールズが一目置くようになったからである。

そうやってコネチカットの農場で兄弟が暮らしているときに瀕死の重傷を負ったキャシーに出会うのである。瀕死のキャリーは庇護者を必要とし、アダムにすがった。アダムはキャシーに一目惚れし結婚した。そして二人は新天地カリフォルニアへと行く。アダムは意気揚々と、キャシーは嫌々ながら。

カリフォルニアに着いたアダムは、創世記のアダムのように園を作りたいと願い、良い土地を探し、また、井戸を掘るための手伝いをサミュエルに頼んだ。こうして、アダムとサミュエルに交点が作られた。

キャシーに出会ったアダムは、現実が見えなくなった。キャシーが見せたいと思うことしか目に見えず、キャシーの思う通りに動いた。サミュエルやチャールズにはキャシーの真の姿が醜く感じられたが、アダムにはそれがわからなかったし、サミュエルとチャールズが忠告や反対をしてもアダムはそれを聞きいれなかった。

キャシーが双子の子供たちを残して、アダムのもとを去ったとき、アダムは抜け殻のような人間になった。生きる気力を失い、子供への関心さえも示さなかった。そんなアダムに対してサミュエルは最後まで友情を与え続けた。

アダムにキャシーの真の姿が見えるのはサミュエルの葬儀が終わった後に再会する場面である。

アダムは、この物語の中で、サリナスという劇場にテーマを運ぶという役割を担っているような気がする。自分自身が第1のカインとアベルとなって、旧約聖書のテーマをサリナスへ運んだのも彼であるし、人間の善とは何だろうかいう大きなテーマを投げかけるキャシーをサリナスへ連れてきたのもアダムである。人間の尊厳へ敬意を示し前向きな生き方をするサミュエルに出会うのもアダムである。

アダムの性格には共感できる面が多く存在すると共に、キャシーによって振り回された上に無気力な生き方をしてしまう面には歯がゆさみたいな感情を抱く。普通の人間の良い面と悪い面が強く出ているためであろうか。

そして、彼の息子達の物語が展開する。

"East of Eden", Penguin Books, John Steinbeck



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